天敵の話 第1回

ベダリアテントウムシとイセリヤカイガラムシ
Rodolia cardinalis Mulsant and Icerya purchasi Mask


テントウムシは漢字では天道虫、英語ではLadybirdです。前者はこのムシが飛びたつ時、天に向かって飛び立つ様子から、後者はLadyは聖母マリアを指し、フランス語やドイツ語でも「聖母の虫」の意味を持っているといわれています。
日頃、庭先で見かける成虫の愛くるしい姿や名前の由来からも誰もが好感を持つムシではないでしょうか?
今回の話はイセリヤカイガラムシ(以下イセリヤ)とその天敵ベダリアテントウムシ(以下ベダリア)の話です。

左の写真は関係者が、1908年アメリカから輸入したレモンの苗木を囲んでいる様子です。この苗木にイセリヤカイガラムシが寄生していました。右から2番目がカイガラムシの分類で有名な桑名伊之吉技師。井上侯爵のミカン園にて。1911年10月8日撮影

1. イセリヤカイガラムシの発見―イセリヤは何処から来たか?―
1911年10月7日に静岡市において全国柑橘大会が開催され、その大会に農事試験場の桑名伊之吉技師も参加していました。静岡県農事試験場の岡田技手は1911年の5月頃から庵原郡興津町の井上伯爵邸柑橘園にイセリヤカイガラムシと思われるカイガラムシを確認していました。同氏は桑名伊之吉氏らとともに11月8日に井上伯爵邸のミカン園を訪問し同定した結果、イセリヤカイガラムシであることを確認しました。上の写真はイセリヤカイガラムシの寄生し
ているレモンの苗木で、1908年4月7日にアメリカのカルフォルニア州から輸入され、井上伯爵邸のミカン園に植栽されたものです。この苗木がイセリヤ寄生の原木でした。苗木の輸入からイセリヤ発生の確認までに3年間が経過していました。

静岡県は直ちに農商務省と協議し「臨時駆除予防委員会」を発足させ駆除事業を開始しました。この苗木と同時に輸入された苗木のすべてにつ いて、追跡調査が実施された結果、他の苗木での国内での発生は確認されませんでした。イセリヤの発生は興津町が原点となります。
1911年10月9日から調査が開始され、このミカン園周辺の植物101種への寄生が確認されています。
ミカン園での発生面積は既に15.08haに及んでいました。防除対策が実施されましたが、その主な防除対策は、寄生樹の焼却、伐採、青酸ガス燻蒸、石油乳剤の散布、鋤き返しによる埋設、園内の雑草、雑木の処分などでした。青酸ガス燻蒸は11.4haで実施され、その本数は7259本。
焼却苗木は4196本。青酸ガス燻蒸苗木数は3989本でした。
この事業に従事した延べ従業人夫数は2461人(内女性371人)、
防除の総経費は8914円で現在の貨幣価値に換算すると約7800万円となります。
この事業ではミカンの成木の焼却、果実の出荷禁止、焼却などが行われましたが、その補償のための予算化はされず農家への補償は一切ありませんでした。
事業は1912年2月24日に終了しています。
防除事業は1911年10月9日から1912年2月24日までの4か月間で終了しました。その後の防除はベダリアによる防除へと変わり、ベダリアの増殖配布事業へと変わっていったのです。

2.ベダリアテントウムシの導入
イセリヤの我が国における発見は1911年でしたが、当時日本の統治下にあった台湾では2年ほど早い1909年頃にイセリヤが発見されその被害が問題になっていました。1909年、台湾総督府の素木得一技師はベダリア導入のためオーストラリアからのベダリア導入でイセリヤの防除に成功したアメリカ、ハワイへの出張を命ぜられ、ハワイにおいてベダリアの入手に成功、台湾に導入しイセリヤの防除に成功しています。
台湾に導入されたベダリアは台湾から静岡へ1911年10月29日―11月16日までに4回送付され、それらの送付されたベダリアから数十頭の生存虫を得ています。更に1912年1月16日、百数十頭のベダリアが台湾より携帯で移入され増殖のために使用されました。

イセリヤの防除事業は終了したものの、依然としてイセリヤはその発生地域を拡大していきました。静岡県はベダリアの増殖配布事業を計画し、農商務省からの補助事業として1912年から開始しました。初年度の1912年におけるベダリアの配布頭数は25件で合計3740頭でした。この事業では全国各地からの要望に応じて無料での配布が行われました。その後、毎年数万頭が配布され、ピークの1940年には24万頭配布されています。この事業は2003年の農薬取締法の改正をもって終了となりましたが91年の長きにわたって続けられた事業でした。

この増殖配布事業が果たした大きな役割は農薬が無い時代にミカンの樹を枯らしてしまうイセリヤをテントウムシが食べてミカンの樹を救ってくれるということを全国各地で実証しながら生物防除の重要性を啓蒙したことではないかと考えています。

(文責:古橋嘉一)


参考文献:
・安松京三(1970)天敵―生物防除へのアプローチpp294 日本放送協会
・静岡県柑橘販売農業協同組合連合会(1959)静岡県柑橘史p806-808
  静岡県柑橘販売農業協同組合連合会
・農商務省農務局(1917)いせりや介殻蟲ニ関スル報告第壱集 pp105
 農商務省農務局