天敵の話 【下】
天敵農薬第1号「クワコナコバチ」(その2.農薬登録から販売中止まで)
Kuwakonakobachi,The first Registered Biological Pesticide in Japan Part 2
農薬登録された製品「クワコナコバチ」の生産は、京都府福知山市にある武田薬品の福知山農場内に新たに建てられたパイロットプラントで行われました。製品は一つのシートから2,000頭以上のヤドリバチが羽化するように設計され、リンゴやナシ園ではシートを10a当たり50枚の割合で枝幹に取り付けます。シートのマミーが封入された部分は、羽化したハチの成虫が通過できるようなサイズの網で覆われていました。
マミーが封入された製品シート
枝に取り付けられた 製品シート
製品化に当たっては、マミーの大量生産の方法、製品の形態、製品の貯蔵方法、使用方法など多くの課題を解決しなければなりません。製品の元となるカイガラムシを大量に増殖させるための植物に何を使うかは重要で、ばれいしょの芽やカボチャが、それも表面が平滑ではなく、カイガラムシが好む表面に凹凸が多いカボチャが使われることになりました。しかし、このような国産のカボチャは表面が平滑なカボチャに比べて高価でした。
「クワコナコバチ」は1970年に100ha、1971年には90ha相当分が出荷され、使用した青森、秋田、長野、岩手の農家から好評を得ました。50シート入りの一箱が5,000円と高価であったにもかかわらず。注文が多く生産が追いつかない状況だったそうです。
クワコナカイガラムシのマミーと羽化したクワコナカイガラヤドリバチの成虫
マミー中のクワコナカイガラヤドリバチの幼虫
一方で、春に間に合うようカイガラムシを飼うのに、高価な国産カボチャやばれいしょを使わざるを得なかったこと、室温を高くするとそれらが腐りやすいことの問題がありました。この例のように、生産の場面では植物の管理、カイガラムシの飼育、マミーの調製などさまざまな段階で人手を要し、それも生産コストを押し上げました。
予期せぬ天候も加わって想定よりも貨物列車内の温度が上がり、輸送の途中で孵化したハチが出てきたため、放熱を考慮した包装の工夫も行われました。製品をタイムリーに届けるための物流手段も限られ、今のようにクール便など無い時代だったのです。
このようなことで採算に乗らず、企業で事業を継続するのは負担が大きかったため1971年の9月に至って会社では販売停止を決定し、生産を中止することになりました。1973年には農薬登録が失効しました。
1974年の朝日=ラルース週刊世界動物大百科169号の記事には、この事業に携わった武田薬品の人が「あれは、まさに芸術品でしたなぁ」と嘆息したことが記されています。いくつかの問題点を例に、この生き物を製品として事業化するには結果的に未知なことが多すぎたと述べています。
上市からわずか2年で販売中止のやむなきに至りましたが、考えようによっては、世の中に出る時期が早すぎたと言えるかもしれません。天敵農薬に対する理解が今ほど進んでいない時代でもありました。
販売は中止しましたが、事業化のために得られた知見が無駄になることはありませんでした。製造上の技術などが武田薬品から農林省植物防疫課とりんごの生産県に開示されました。青森・長野・福島の3県ではこのヤドリバチを増殖して配布する事業が実施されクワコナカイガラムシの防除に役立てられたのです。
写真提供:岸谷靖雄氏
参考文献:
・天敵 生物制御へのアプローチ(1970) 安松京三 日本放送協会
・新しい生物農薬生まれる-クワコナコバチ(1970)久保藤男 化学と工業 第23巻 第8号 日本化学会
・生物農薬クワコナコバチ(1971)綿島朝次 牧草と園芸 第19巻第1号 雪印種苗
・クワコナカイガラムシの生物的防除に関する研究(1971) 守本陸也 武田研究所報
・武田二百年史(1983) 武田薬品工業株式会社
・生物農薬事始(2000)守本陸也 植防コメントNo169 日本植物防疫協会
(文責:柏田雄三)